東京都の東側、荒川と東京湾に囲まれたエリアに位置する「江東5区(江東区・江戸川区・墨田区・足立区・葛飾区)」。荒川・江戸川をはじめとする多くの河川が流れ、海抜ゼロメートル地帯が広がっていることから、大規模水害が起こりやすい地域です。
これまで「住む人」に向けた防災対策が語られることが多かった水害リスクですが、「その街で働く」人にとっても、決して無関係ではありません。
今回は、江東5区における川のリスクをテーマに、なぜこの地域が“水害に対して特に脆弱”なのか、そして住む人や働く人にとってどのような備えが必要なのかを解説します。
江東5区の地理的特徴と水害の脅威
「海抜ゼロメートル地帯」が広がる江東5区
江東5区は、もともと海だった場所を埋め立てて形成された地域です。そのため、海抜が海面よりも低い「海抜ゼロメートル地帯」が広がっています。
特に江戸川区や江東区などは、地形的に水がたまりやすいという特徴があります。
荒川が氾濫したり、高潮が発生したりした場合には、江東5区の広い範囲が長時間水に浸かると予想されています。この地域には約250万人が暮らしていて、そのうち9割以上が「浸水の恐れがあるエリア」に住んでいます。
深さ10メートル以上の浸水になる場所もあり、その状態が2週間以上続く可能性もあると言われています。低地で排水が難しいため、一度浸水すると深刻な被害になるおそれがあります。

水害のカギを握る「荒川」と「江戸川」
江東5区周辺には、荒川、江戸川、旧中川、そして複数の中小河川が流れています。
中でも荒川と江戸川は「首都圏最大級の河川」であり、台風や豪雨により水位が上昇した際には、堤防が決壊しないまでも「越水(※)」や「内水氾濫(※)」が発生する可能性があります。
※越水:川が大雨で増水して、堤防を乗り越えて水があふれ出す現象
※内水氾濫:大雨などにより下水道や排水路では排水しきれずに、街中に水があふれる現象。特に都市部で起こりやすい

江東5区の過去の水害事例
明治43年、荒川決壊による東京水没
荒川は、「荒ぶる川」の名の通り、昔からよく氾濫を起こしていました。
明治43年(1910年)には、当時の荒川(現在の隅田川や新河岸川など)や綾瀬川の堤防が各地で壊れ、市街地にまで河川の水が流れ込み東京が水没しました。

この水害をきっかけとして、1930年に荒川放水路が作られ、以降約100年にわたり決壊することなく私たちの暮らしを守り続けてくれています。
昭和22年、カスリーン台風による江戸川氾濫
また、戦後間もない昭和22年(1947年)9月には、カスリーン台風による大規模な水害が発生しました。
利根川中流部の堤防が決壊し、江東5区を含めた1都5県(群馬、埼玉、栃木、茨城、千葉、東京)において、死者約1,100人、家屋浸水約30万戸、家屋の倒半壊約3万戸という甚大な被害をもたらしました。
その後、放水路の整備などが進み、荒川と江戸川では堤防の決壊を伴うような洪水は発生していません。
令和元年東日本台風

令和元年(2019年)には「令和元年東日本台風」という非常に大型の台風が到来し、荒川下流部の水は戦後3番目の水位を記録し、氾濫が心配されました。
結果的になんとか持ち堪えたものの「氾濫危険水位」まであと53cmだったと記録されています。
氾濫危険水位とは:川からいつ水があふれ出してもおかしくない危険な状況を示す水位のこと。
もしこのとき荒川が氾濫をしていたら江東5区はもちろん、大手町や銀座といった東京都心にまで浸水被害が及ぶ可能性がありました。
実は筆者の実家は江戸川区にあります。マンションの5階に住んでいたものの、そこに住む親のことが心配になり連絡を取り合ったことを覚えています。
筆者が見た「水害」のリアル
筆者は、能登半島で震災と水害のダブル被災をした石川県輪島市や山形県酒田市にボランティアに行く機会が2024年に何度かありました。
浸水してしまった一般住居やお店などの片付けのお手伝いをしましたが、床や柱といった箱ものはもちろん、椅子やテーブル、食器、使いかけのシャンプーといった日用品から、家族写真のアルバムのような大切な思い出の品まで、あらゆるものが泥まみれになってしまっていました。


また、水圧で家が丸ごと流されてしまったり破壊されてしまったりした住宅も複数見られました。水害を侮ってはいけないと強く感じた瞬間でした。

今、江東5区の河川ではどんな工夫がされているか
現在の治水対策
江東5区では川の氾濫から人や街を守るため、様々な工夫がされています。
先日筆者も実際に訪れた荒川の事例を中心に、川が氾濫を起こさないようになされている工夫、そして川を活用した災害対策について紹介します。
荒川放水路
まず知っておきたいのは、今私たちが知っている「荒川」は、実は「人工の川」であるという点です。
荒川は元々現在の隅田川でしたが、度重なる洪水の被害を受け、川の流れをよくして水害から街を守るために人の手で作られたのです。1924年、つまりおよそ100年前に通水式が行われ、その後は一度も決壊することなく街を守り続けています。

高台まちづくり
江東5区を中心とした荒川・江戸川沿いの地域では、気候変動の影響などによる水害リスクの高まりも踏まえて、「高台まちづくり」を進めています。
高台まちづくりとは、水害リスクのある低地に高台を整備することで、災害時の避難場所の確保を目指す取り組みのこと。
早期避難ができなかった場合でも、命の安全を可能な限り確保する緊急安全確保先及び最低限の避難生活水準を確保できる避難場所や、救急救助・災害復旧拠点などの整備を進めています。

高規格堤防
江東5区では、荒川をはじめとする河川において、従来の堤防よりも強固で、水害や津波の被害を軽減する性能を備えた「高規格堤防」の整備が進められています。
高規格堤防は、決壊による大きな被害を防ぐだけでなく、堤防の上のスペースを活用することで、防災機能だけでなく、街の景観や環境づくりにも役立ちます。
また、災害が起きたときには、堤防の上が一時的な避難場所になったり、救助や復旧の活動拠点として使われたりするなど、いろいろな役割を果たせます。
荒川ロックゲート
荒川ロックゲートとは荒川と旧中川とを結ぶ閘門(こうもん=ロックゲート)です。
ロックゲートとは、水面の高さが違う2つの川の間を船が通行できるようにするための施設です。荒川と旧中川は水面差が最大3.1メートルにもなるため、船の往来が不可能でしたが、ロックゲートの完成によって、荒川と旧中川、小名木川、そして隅田川が結ばれました。


・リバーステーション
荒川には、河川敷にリバーステーションと呼ばれる緊急船着場が設置されています(戸田・新砂など)。災害時に河川を利用して救援物資の搬入や避難者の輸送を行うための施設です。
・緊急用河川敷道路
地震などの災害時に物資を輸送するための緊急用河川敷道路を整備するとともに、緊急用河川敷道路から一般道路へアクセスするためのスロープ(防災用坂路)の整備を進めています。
平常時は開放し、散策、ジョギング、サイクリングなどで、多くの人が利用しています。

江東5区で住む人・働く人が直面する水害リスクと対策
江東5区で川氾濫が起きるとどうなる?
荒川や江戸川が氾濫したり、高潮が発生したりすると、江東5区の広範囲が浸水に見舞われると予測されています。場所によっては水深5メートルを超え、ひどいところでは10メートル以上になる可能性もあります。
これは建物の1階部分はもちろん、2~3階にも到達する深さであり、自宅や職場がマンションやビルであっても安全とは限りません。
想定では、居住人口の9割以上にあたる約250万人が浸水被害に遭うとされています。中には、2週間以上も水が引かないエリアもあり、水道・電気・ガスなどのライフラインが止まった状態を強いられる可能性があります。

仮に水害が発生した場合、その街に「住む人」「働く人」どちらも影響を受けます。
たとえば、以下のようなリスクが現実的に起こりえます。
- 自宅や勤務先など建物への浸水
- ライフラインの停止(電気、トイレ、水、ガスなど)
- 公共交通機関の停止
- 高層階に取り残されることによる“孤立”
こうしたリスクを最小限にするには、まずは予想されているリスクを把握すること、そして災害に対する備えと心構えをあらかじめしておくことが不可欠です。
個人ができる、川の災害への防災対策
その街に住んでいる人、働く人。どちらの方にも必要な川への「個人ができる」水害対策について説明します。
水害ハザードマップの確認
江東5区を始めとした各自治体は、それぞれの地域の災害リスクを示した「ハザードマップ」を発行しています。
川による水害対策については、「水害ハザードマップ」を確認しましょう。水害の種類別にハザードマップが分かれていることもあります(例えば江東区の場合は、洪水氾濫・内水氾濫・高潮氾濫の3種類)。



まず見るべきポイントとしては、
①自宅や勤務先には浸水リスクがあるのか
②大雨などが降ると、特に危ないエリアはどこなのか(そこには近づかないようにする)
自宅や勤務先に浸水リスクがある場合は更に、
③浸水した場合に想定される深さは何mか
④浸水時間は何時間くらいになりそうか
これらの情報を見ていくことで、水害の発生が予報された時に自分は避難するべきなのか? それとも留まってしばらく過ごせるように食料品などの備蓄をする方に注力をした方がよいのか? の判断をしやすくなります。
また、逃げる場合にはどこに逃げるのが安全そうか避難場所候補もいくつか挙げておきましょう。
水害発生時の行動計画を立てる
多くの場合、水害は数日前から起こるリスクが予測されています。とはいえ、いざというときには実際に避難する?しない?を迷ってしまったり、心理的な防衛反応によって「このぐらいなら大丈夫」と思い込んでしまったり(=正常性バイアス)するもの。
そのため、どこに避難するかだけではなく、どのタイミングで避難する?もしくは避難しないでその場にとどまるかをあらかじめイメージしておくことが重要です。上記ハザードマップによる判断に加え、気象庁や市町村が発表する「警戒レベル」についても理解しておきましょう。
集中豪雨や台風などによって水害や土砂災害などの災害が発生するおそれがあるとき、防災情報の意味が直感的に理解でき、それぞれの状況に応じて避難できるよう、災害発生の危険度と住民がとるべき行動をは、自治体が5段階の「警戒レベル」を用いてで伝えていられます。

例えば、警戒レベル4は「全員」危険な場所から避難。
高齢者など避難に時間がかかる人は警戒レベル3で避難しましょうという内容になっています。
「高齢者など」と書かれていますが、子どもやペットがいる、足が不自由などの方々も対象に入ります。
仮にハンディキャップがなかったとしても早めの避難をしておくことに越したことはありません。あなたがどの段階で避難行動に移るか、あらかじめ決めておくことで、いざという時に躊躇してしまって逃げ遅れないようにしましょう。
自宅や勤務先に防災グッズを準備
防災グッズは、地震だけでなく水害時にも役立ちます。例えばマンションの上階に住んでいるため避難しない選択をした場合、電気や水道などのライフラインが止まり、自宅で不便な生活を余儀なくされることになっても、防災グッズを用意しておけば数日はしのげるでしょう。
いろいろな種類の防災グッズがありますが、何から備えたらよいか迷う人は、まずは非常食・お水・トイレ・ポータブルバッテリーの備蓄から始めてみてください。
会社(事業者)として取り組むべき災害対策
最後に、江東5区にオフィス・店舗・倉庫などを構える企業が、「会社として」実施すべき基本的な防災対策をまとめます。
水害ハザードマップの確認と従業員への周知
個人の取り組みと同様に、まずはハザードマップの確認から始めましょう。確認した内容を、総務や経営層だけでなくすべての従業員へ周知することも重要です。
水害リスクが発表された時の従業員の安全確保ポリシーの決定と周知
いざ大雨や台風の予報が出た際に、どのようにして従業員の安全を確保するか事前にルールを決めておくことが重要です。
例えば前日までに分かっている場合には、警戒レベル2や3であれば出社させない、また当日夕方から雨が強くなる予報の場合には早退や直帰可とするなど、会社として事前にルール策定をしておきましょう。
ルールなしにいきなり水害に遭ってしまうと、意思決定者も従業員もパニックになって冷静な判断ができなくなります。
企業として「従業員の命を守る」ことを最優先に防災ルールの策定と周知を進めることが大切です。
事業所に備蓄品を用意
雨が降り始めてしまっていて、従業員を帰宅させるのが危険と判断した場合、事業所やオフィスに一定期間留まって過ごす必要があるケースも考えられます。
その際は、水・携帯トイレ・非常食・簡易ブランケットなどの備えが役に立ちます。
これらは大地震を想定して準備をされる企業が多いと思いますが、地震時だけではなく水害時にも活躍をするので、ぜひ備蓄しておきましょう。
また、企業単位での備蓄に加え、個人でも最低限の防災アイテムをロッカーなどに用意をしておくよう周知できるとより安心です。
BCPの策定
大地震やテロなどの危機に対する緊急事態が発生した際に、組織が事業を中断させない、または中断した場合でもできるだけ早く復旧させるための計画として「事業継続計画:BCP(Business Continuity Plan)」の策定が各企業に推奨されています。
特に江東5区にある企業では、BCPに水害への対応も組み込むことが重要。今後も気候変動により更なる降雨量の増大や水害の激甚化・頻発化が予測されており、大地震よりも水害に直面する可能性が高いかもしれません。
従業員の安全確保、サプライチェーンを含めた事業資産全体の損害を最小限に抑えるための計画および定期的な避難訓練が不可欠です。こうした取り組みによって、企業の事業継続力向上が図れます。
江東5区は都市機能が集中し、多くの人が住み・働くエリアです。普段は利便性が高い一方で、「災害が起きたときの影響範囲」も広大です。
個人としても企業としても、水害を「自分ごと」として捉え、まずはリスクについて知ること。そしてそのリスクに対する備えを進めることが、企業や個人のレジリエンス(回復力)を高める第一歩です。



