賃貸の不動産会社が教えてくれないお部屋の選び方とは? >

#6 「兼業作家」がめちゃくちゃ忙しかった話

暮らし
この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

この連載は、かけだしフリーランスの右往左往っぷりをセキララに描く連載エッセイです。
これからのキャリアに悩む女性の参考になりますように。

> この連載を最初から読む

> 連載の一覧

蛙田アメコ
蛙田アメコ

エッセイを書いた人:蛙田アメコ
・アラサー
・元教育サービス業正社員
・正社員時代は年間公休97日
・2018年から2年間、副業フリーランス(兼業作家)として活動
・2020年、体調を崩して会社を退職

こんにちは。ライトノベル作家の蛙田アメコです。
アラサーで、バツイチ。
現在、作家・シナリオライターとして生活しています。

自宅で仕事をしたい私が、いかにしてフリーランスとしてひぃこら生きていくことになったのかをお伝えしているこのエッセイ、いよいよ「フリーランスデビュー」の話です。

ちなみに、現在進行形で退職手続きを進めたり、適応障害の療養を行っていたりする状況で書いていますので、「こなれたフリーランスのアドバイスエッセイ」ではなく、「これを書いている私はこれから生き残れるのか! サバイバル実況中継!!」という気持ちでお読みいただけると幸いです。

スポンサーリンク

まずは飛び込め!

2017年頃から本格的に「文筆業で将来稼ぐ」という目標を立てて、武者修行的に小説を書いていました。文庫本というのは、だいたい10万字程度の分量でできています。

私は「何となく将来は作家になるんだろうな~」と思っていたにも関わらず、一度もその10万字を書いたことがありませんでした。へぼいです。

2018年になると、なんとなく10万字の小説を書くイメージが湧きました。もともと、エッセイや短編小説を書くことは得意でしたので、次のステップに移ります。

まず、飛び込む!

「実績ができてから営業をしよう」という考えは甘いと思っていました。実績は無いけれども、まずは応募だけはしてみよう……それが、良縁を引き寄せました。

新規立ち上げの文芸サイトのライター募集に手を挙げたところ、なんと採用していただいたのです。

初めて自分の書いた文章に対して、報酬をいただきました。

か、感動です。

会社の看板や、実績ではなく「私の文章」を買っていただいた。

もう、感無量でございます。

本当に運の良いことに、ライターを最大限、本当に最大限尊重してくださる素晴らしいサイトで「フリーランス」の最初のお仕事をさせていただくことができました。記事も何度かバズっていて、ありがたいかぎりです。

スポンサーリンク

兼業作家、デビュー

それからほどなくして、「小説家になろう」という大手小説投稿サイトに連載していた小説が、第5回オーバーラップWEB小説大賞で奨励賞をいただき、無事に「フリーランスのライター」と名乗ってお仕事をする下地が整いました。

デビュー自体は、今はそんなに難しいことではないと思います。

詳細は省きますが、「小説家になろう」というサイトは、タイトルやあらすじに特定のワードがあることで飛躍的に閲覧やポイントを頂きやすくなります。SEO対策的というか、データドリブン的というか。

私はそこに時事ネタを足して、いわゆる「一発芸」的な小説ではじめての出版を経験しました。自分の描いた物語が、自分で書いた文章が、印刷されて本になって書店に並ぶ……本当にありがたいし、夢みたいな光景でした。

しかし、夢では終われないのがフリーランス。

この実績をもとにもっとたくさん小説を書いたりライターとして活動したりして、さらに実績を増やすターンだ! ……と思ったのですが。

ここで、大きな誤算がありました。

忙しい。

兼業作家、マジで本当に忙しい。

スポンサーリンク

全然、家にいられない……

デビュー作をWEB連載しているときのタイムスケジュールはこんな感じ。

8月で、教育業界の繁忙期だったことをよく覚えています。

  • 6時30分起床
  • 7時00分家を出る
  • 8時00分出勤
  • 16時30分終業
  • 残業と帰宅
  • 19時ごろ帰宅
  • 20時まで色々な家事
  • 22時から2時ごろまで執筆
  • 3時ごろ就寝

それでまた、翌朝6時30分起床……といった具合です。

兼業作家の皆様は、このようなタイムスケジュールに加えて円満な結婚生活(これは私ができなかったものだ)や子育てまでこなしているかたがたくさんいらっしゃる。

しかし。

「たくさんいること」と「私ができること」は全く別なのです!

私はもともと体力もなく、だからこそ「家で生活ができるようにしたい」という風に思って独立・フリーランス化を目指していたのです。

だから、そう……長続きしなかったわけです。

皮肉にも、兼業作家としてバリバリやろうとしたことと離婚騒動が重なって、最終的に完全に体調を崩すことになったのでした。

兼業が一番、と言う言葉の裏には「本業含めた超ハードワークに耐えられるなら」という但書があるのを忘れてはいけないというのが、このことで得た教訓です。

ちなみに、スケジュール管理についてはこの時期もほぼ破綻はしませんでした。
フリーランスになってから「スケジュールを自分できちんと管理する」という能力は、本当に本当に大切だと思い知ったのであります……。

これは体感ですが、「兼業でのスケジュール管理ができないと、フリーとして独立したときにもスケジュール管理で失敗する」と思うので、自分なりのやり方を考えておくのが良いと思われます。

それにしても、フリーランスとしての活動開始から独立まで、こんなに短い(約2年)とは思わなかったわけであります。人生、ままならない!

次回はこちら

> 「アラサー女子、うっかり会社辞めました。~フリーランス体験日記」の記事一覧

タイトルとURLをコピーしました